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1/43 ミニチャンプス ウルフフォード WR1 J.シェクター 日本GP 1977
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カナダの石油王、ウォーター.ウルフ率いるウルフチームは1977年に彗星のごとく現れた新興チームで
何と初出場のアルゼンチンGPで優勝してしまったのであります!もともとウォーター.ウルフは当時弱小チームだったウィリアムズに
スポンサーしておりましたが、F.ウィリアムズの経営方針、レース活動において首を傾げ、自分でチームを結成いたしました。
まず、ドライバーに既にティレルで頭角をあらわしていたJ.シェクターを引き抜き、デザイナーには後にフェラーリ等で活躍する
H.ポストズウェイト、チームマネージャーにP.ウォーと万全体制を組み、合わせてウォーター.ウルフによる豊富な資金力で
やはり優勝しても当然と言えば当然でしょうか。チームカラーはウルフ氏の母国カナダ国旗が映えるよう、あまり余計なスポンサー
は貼らないと言う贅沢なマシーンとなっており、それゆえにシンプルかつ美しいデザインとなっております。この年1977年度は
合計3勝しコンストラクターズポイントでは4位【ワンカー体制の為】、ドライバーズポイントでは総合2位に食い込みました。
この年は結果的にはラウダが2回目のワールドチャンピオンとなりましたが初参戦でこの結果は素晴らしいものですね。
ウルフは翌年からウイングカーの時代に入ると時代の波についていけず、優勝戦線から脱落しJ.シェクターは
フェラーリに移籍し、末期にはワールドチャンピオンのJ.ハントがドライブするも成績に結びつかず引退し、チームも1979年
限りで撤退となりました。モデルは1977年富士を走ったマシンで田宮模型のスポンサーに注目です。
たった数年の活躍でしたがウルフを好きな方は多いはず復活なれ!
チームオーナー ウォーター.ウルフ
デザイナー P.ウォー
ドライバー J.シェクター2位
コンストラクターズポイント総合4位
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